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着想メモや日々の記録
by sm081023

夏期休暇初日、ウィスコンシンの友人に訊ねた

「強いて言うなら、何を考えているのかわかんないところかな。崇君は癖が強すぎるんだよw」

昨日の夜、友人に自分の欠点を訊ねたときに貰った答えがこれである。国立にひっそりと構えている、僕のお気に入りの居酒屋『小樽食堂』で二人は飲んでいた。

彼とはウィスコンシンで知り合った。
朗らかという言葉が最も似合う人で、何でも話してしまえる。
人をそんな気持ちにさせる空気を彼は持っている。


身を切り裂くように寒い――痛いという言葉のほうが良いかもしれない、真冬のウィスコンシンに僕が転学したのはもう5年ほど前になる。一つの街がキャンパスといっても言い過ぎではない広大な学校に置かれた僕は、新しい環境への期待と孤立した不安の混在していた。

入寮手続きを終えて間もなく、たまたま知り合った日本人の紹介で、あるホームパーティーに出席させてもらった。日本人半分、アメリカ人半分といったメンバー構成で、それぞれ既知の仲のようだった。そこに例の彼が居て、無邪気に話しかけてくれた。人見知りな僕は救われたような気がしたものだ。

その後も僕たちはパーティーで何度か同席した。二人ともお酒が人並み以上に好きだったことが昂じて、話す機会が自然と増え、あっという間に仲良くなった。当地においては、彼とぐらいしか深い話をしてないのではないか、と思うほどである。男同士の友情などは一朝一夕に始まるものだ。


・・・といった話などを酒肴と共に交わしつつ、少しアルコールが回った頃には、人間関係の話、女性観の話、仕事の話、哲学の話などへと話題は東奔西走した。彼と呑むと、必ずこうなる。その理由は彼の朗らかな性格にあり、彼と話していると僕は頭に思いついたことをそのまま言葉にしてしまうのだ。まるで鳥の消化器官のように、言葉に歯止めをするものが無くなり、ありのまま排泄される。彼も同様に会話を楽しんでくれていたようだった。

人間関係の話をしている最中、たまたま自分の欠点を訊ねてみたくなった。だから、訊ねてみた。


「俺の悪い部分ってどこだと思う?」

彼はあっさりと応えた。
「いや、別にないんじゃないの?」
正直に嬉しかったが、確かにお互いに悪い部分が口をつくように出てくるならこんなにも付き合ってはないだろう、とも考えた。この思考も相俟って、僕は食い下がった。

「まあまあ、そう言わず是非。俺のためだと思って。」

「うーん。よくわからん。まあ、言葉は選びすぎかな。」

「俺が言葉を選んでいる?信じられんw」
彼の答えは本当に意外だった。いつも彼の前では頭から言葉を垂れ流しているだけだ、と思っていただけに、余計に驚いた。

「いや、そうそうw 今日の誘いのメールもそうだった。欠点じゃないと思うけどさ、うまいよね。人の動かし方を心得てるってか、身に染みついてるってか。ああ言われれば、俺が行くよ、って気持ちにさせられる。だから今日も国立まで出てきたんだけどねw」
ああ、確かにこれは危ない癖かもしれない、と素直に思った。

「あと、」
彼は続ける。
「強いて言うなら、何を考えているのかわかんないところかな。崇君は癖が強すぎるんだよw」

こうまでも自分の内面は表現出来てないのか、とショックだった。何も隠していないつもりでも、何も伝わっていないことがある。僕は友人に、

「確かに思い当たる節があるなぁw有り難うw」
と礼を言いつつ、二つ目のビールサーバーを注文して飲み続けた。

その後、何年ぶりかのカラオケを楽しんだ後、彼の住まいで三次会に。
もうすっかり酔っていた二人は、他愛もない会話だけ交わしてすぐ眠りについた。

# by sm081023 | 2010-08-13 04:18 | 日記

土曜の夜、分倍河原からの帰途にて

先週土曜は飲み会の予定であったが、
急遽キャンセルが入ってしまった。

気を落としていたところに、師匠からのメール。
たまたま、僕の住む最寄り駅の隣にある、分倍河原からのお散歩に付き合わせて頂いた。

ここ甲州街道沿いにある分倍河原は、古戦場のある地である。鎌倉時代後期、北条泰家と新田義貞が剣を交わした場所だ。その様子は石碑となって刻まれており、未だに私たちの記憶に残ろうと努めている。

かの新撰組土方歳三と沖田総司も、司馬遼太郎の小説の中でこの重要な喧嘩拠点について話を交わしている。そこに居るだけで血を騒がせてくれる、そんな場所である。


二人は大きく寄り道しながら、中河原駅までの道を歩いた。

途中、この季節に相応しく、祭りに出くわした。
とは言っても、時間はもはや21時半を過ぎている。

『後の祭り』という言葉にそれ以上の意味を求めたくなるような、燃え尽きた様子を呈していた。それを見て、僕が彼に話しかけた。


「やっぱり祭祀です。提灯の幻想的な光などからは神秘性を拭えません。まるで古来からの宗教そのままのようです(僕はデュルケームを想定していた)。今風に言うならキャンプファイヤーの神秘性でしょうか。やはり現代でもそういった精神は生きているんですね。」

この言葉に彼は応える。
「そうか?どうも崇は古来からの祭りと現代の祭りを照らし合わせたがっているようだが。まあ、それはともかく、日本の盆踊りは五穀豊穣を願う祭りだったよな?」

軽く窘められたことに少し遺憾を覚えたが、いつものことだ。僕の話題が話す価値のないものだったのだろうと諦め、彼の話題について応えた。

「盆踊りといえばその名の通り、盆のための祭りではないでしょうか。死者の魂を迎えることをその目的としているという認識ですが。」

「いや、この時期に行われる祭りだ。五穀豊穣を祈るための神道的な祭りであるはずだ。」

「確かに、これ以降は収穫時まで大袈裟な祭りが無いように存じています。しかし、盆は仏教的な思想の文化で、盆踊りもそれに準ずる死者の魂を迎えるものであったかと思いますが・・・。ああ、神道と仏教が統合された、えっと・・・なんでしたっけ、アレがこの違和感の原因でしょうか。」

「ああ、神仏習合のことだな。そうかもしれない。」


彼は「文化の合理性」を見抜いた。
その風土において、何が、行事の行われる時期に大切なものなのか。

文化が混ざると、これが見えにくくなるものだ。
まだまだ僕は目が悪いらしい。
# by sm081023 | 2010-08-11 13:54 | 日記

意外にタフだったグローバリゼーション

The recovery in trade
Defying gravity and history
Despite dire predictions of a repeat of the 1930s, trade is bouncing back

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リーマンショックを受け、世界が保守経済(中には共産主義という意見も)に迎合する傾向にあるだとか一時期騒がれたが、一瞥する限りはどうやら杞憂のようだ。グローバリゼーションの流れは取り返しのつかないものだと思い込みがちな風潮がある。この一種の信仰に警鐘を鳴らす国際政治経済学者も少なくない(例えばJ.A.Frieden, Global Capitalism)が、旧帝国主義終焉の例を根拠の一つとして引き合いに出すのはもはや意味がないように思う。今回の記事は、世界恐慌の頃から比べて飛躍的にグローバリゼーションがタフになっていることを伝えている。怪物だなぁ。
# by sm081023 | 2010-08-09 07:33 | 時事

昨日の飲み会

祭りの熱気も落ち着く頃に仕事を終えた昨日の僕は、
都下方面では無く都心方面への電車に乗り込んだ。
約二ヶ月ぶりに、大学の先輩と呑む約束をしていたのである。

待ち合わせ場所は、新宿東口の交番前。
週末はいつも若者たちでごった返している、定番の待ち合わせ場所だ。


流行に恭順に着飾る女たちに、
流行に従順に着飾る男たち。

華やかな彼女たちの対岸には、
むっつりとした表情で三人ほどの警官が立っている。


コントラストに満ちたこの場所も、
週日の夜はまるで田舎の駅のようだった。

23時半過ぎに、先輩はやってきた。
ジャーナリストのような表情と体格に、少し若々しすぎる風体、
体が上下するような大袈裟な歩き方はいつまでも変わらない。
このお陰で、どんな混雑の中でも彼を見つけることが出来る。

彼と僕は軽い挨拶を交わし、
いつものように、当たり障りのない居酒屋に入る。

そこはどこにでもあるような居酒屋で、
機能性ばかりを重視した構造をしている。

必要最小限に区切られた客席は、
厨房からのアクセスに便利な廊下で繋がっている。

どのような食事も少しおいしく見せる暖色の照明は、
どこか皮肉じみて感じられた。

こういうのは、嫌いじゃない。

注文は、タッチパネルで出来るようになっていた。

それを見て、
「なるほど、都会に相応しいシステムだな。」
彼はそう言って笑った。僕も純粋に笑った。

これを口火に、お互いの近況を話し合う。
友人の話、趣味の話、恋の話、仕事の話。
お互いに話の順序を弁えているように、決まってこの流れになる。

本分である学問の話は、疲れが取れるぐらいにアルコールが回るまではしない。


二件目へハシゴ
# by sm081023 | 2010-08-07 01:27 | 日記

後期夏期講習開始

最近の暑さはどこか心地よい。
暑さに慣れただけなのか、天候の所為なのかはわからないけれども。


今日からまた、一週間かけての夏期講習が始まった。

以前属していた某W塾とは違い、
現在の塾生のレベルは余りにも区々である。

個性も偏らず、まるで学校の先生になったかのような感覚を覚える。


初日は二日酔いのまま登塾した。
それを隠していたつもりが、子どもにあっさりと見抜かれてしまった。
慧眼だなぁ、と関心してしまう。

一人が「もう、だらしないよ、先生!」と、無邪気な笑顔で言う。
僕は「うるせぇ!」と失笑を堪えきれず応える。

自分が本当に子ども嫌いなのか、最近不安になってしまう。
過度に感情に依存して生きる人間はとても苦手だったはずのだが。

とても綺麗に解釈すれば、
自分の弱さを棚に上げる程度がマシになったのだろう、と思う。

今週は楽しく乗り切れそうだ。
# by sm081023 | 2010-08-05 00:42 | 日記
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